阿波踊りって ?
阿波踊りって何 ?
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン」という節を聞いた事はありませんか?そう、これがまさに「阿波踊り」です。徳島で生まれた庶民的な力強い踊りですが、そのパワーは遠く東京、埼玉まで及んで、毎年夏になると日本各地でお囃子とともに踊り狂う姿が見られます 。
日本芸能というと「静かでゆったり」としたイメージがあります。でもこの阿波踊りは対照的で
★ にぎやか
★ 力強い
★ 面白い
★ 自由
といった特徴があります。
民衆の力が全面的に伝わった伝統舞踊といえるでしょう。
どこにでもいるような会社員やお母さんたちが連というグループを作り、それぞれに練習を行い、夏のお盆の時期、一躍美しいダンサーとなり道を練り歩き、踊り狂います。それは丁度ブラジルのサンバの行進を思い起こさせます。
歴史
400年以上の歴史 !
– いつから阿波おどりが始まったのか?実ははっきりとは分かっていません。 残っている文献が非常に少ないからです。それでも残っている文献から400年以上前からすでに阿波踊りがあったという事が分かります。
議論沸くたくさんの起源説
どんな風にして阿波踊りが生まれたのか、 これも実に沢山あって一冊の本になってしまいます(実際起源説だけを載せた本が読売新聞より出版されています。)
資料が元々少ない上に第2次世界大戦の戦火のもと多くの資料が失われてしまったようです。 また、多くの郷土芸能がそうなように、仏教、神道、その土地特有の盆踊りといったものが長い時間をかけて混ざり合った感も強く、多くの説はどれもまた真実な気もします。真偽はひとまず置いておく事にしてその中で2つ有名なものを挙げておきましょう。
★蜂須賀城築城祝い起源説★
蜂須賀家政というお殿様が徳島城を建てた際の落成祝いの酒宴の席で踊り始めたとする説。 阿波踊りのお囃子で歌われるよしこの節の一節に「阿波の殿さま 蜂須賀公が 今に残せし 阿波踊り」というのもあり、一般的に一番認知されている起源説。ところが現地の阿波踊り通に言わせるとそんなことは有り得ないのだそうで、 所詮はよそ者のお殿様、そのお殿様がきっかけで郷土の踊りが始まるなど言語道断と笑われてしまう。が、一応現存する最古の阿波踊りに関する記述のある資料「阿波名勝案内」の中には 「阿波の盆踊りは全国各地の盆踊りとは全く趣を異にせる一種異様の盆踊りなり」というまさに阿波踊りを指し示す記述とともに築城祝いと庶民の歓喜の様子が書かれている。
★盂蘭盆を起源とする説★
旧暦7月の先祖の霊を向かい入れるお盆の踊りを起源とする説。ただし、この盆踊りの形態にも細かいが微妙に祖先の違う種類があることに、またも違う説となる可能性がある事を注意しておきたい。
盆踊り3つの形態:
- 組踊
100から120人ほどの大規模な踊りで、華美な舞台で小人数で演じるメインの踊り(中踊り)と、その回りを多数の踊り子が回り踊りで景気づける。麗な衣裳や持物で観衆の眼をひきつけ、幻想の世界に人びとを誘うことを狙った贅をつくした踊り。
- ぞめき
風流傘の下で歌い手と三味線を弾く人が鳴物方を担当し、それに合わせて数人が輪になって踊る。祖霊を迎えるため揃いの頭巾をつけている。 華美な組み踊りに対して小規模なもので、おそらく各町で迎え火を焚いて新仏を迎え入れ、供養のために空地や辻で踊ったのだと思われる。このタイプの踊りとして、いまも踊られているのは津田(徳島市)の盆踊りである。 津田では漁師やその家族たちが海岸に集い、迎え火を焚いて新仏の名を海に向かって呼ばわり、仏とともに踊るというもの。徳島市には保存会が有り、阿波踊りと同じ時期に今でも見る事が出来る。
- にわか
18世紀に盛り上がった即興寸劇のこと。もともと俄踊りというのは阿波特有の芸能ではなく、上方をはじめ諸国で盛んに流行していた民衆芸能だった。
戦前と戦後
阿波踊りを終戦を境に二つの時期に分けると大きな違いが浮かび上がって来ます。 そもそも阿波踊りという名前がついたのも、阿波踊りの歴史全体から言えば最近の事なのです。戦時中さしもの踊り好き達も、祝賀として日清戦争勝利の時などに踊る以外自粛していました。戦争の最後の年、空襲を受けて徳島の町も焼け野原となります 。当時徳島市の6割は焦土と化し、約3000人の死傷者が出ました。しかし翌年昭和21年(1946)焦土の中から早くも阿波踊りは復興をとげます。初めは遠慮がちに互いに顔も分からないようにとめいめい顔を手ぬぐいで隠し、 泥を塗り付け、女の浴衣を羽織って踊っていた人々も気がつけば大所帯になってやんやの大騒ぎとなったと言いますから、焼け跡から踊りだす徳島人達のパワーの程が伺い知れます。
Spot light
注目 キーパーソン !
林鼓浪 (1887-1965)「阿波踊り」の名付け親。
森魚渕より学んだ風俗画で独自の世界を開く一方、郷土史研究、芸能活動及び保存の尽力、活動写真、弁士、ラジオコメンテーターまでこなした、マルチな粋人。徳島の人間文化財。
★★★★
注目 お囃子 !
楽器
今も各連がそれぞれ工夫をこらして様々なお囃子を生み出していますが、戦前はそれこそいろいろな楽器の使用が試みられました。フライパンを叩いてというものから、チャルメラ、バイオリン等西洋の楽器も使ったというのだから驚き。 この柔軟な発想力と、威勢のいいチャレンジ精神、阿波踊りの神髄といった気がします。